トップダウンとボトムアップ。どっちが正しいのかを考えることに意味はないと思う。結局はどっちも正しいことだろうし、使い分けることが重要だろうと思う。

予算編成権と人事権が源泉となる組織は責任も発言者、あるいは当事者たる部署が持つことが求められる。こうした前提と権限の委譲、責任の範囲が適切に定められていて全員でコンセンサスがとれていないと上記の議論は成り立たない。

トップダウンとボトムアップ

新規事業また新しい仕組みを導入する際にトップダウンとボトムアップのどちらのの手法でやるかは判断が難しい。物事は絶対に一人ではやり遂げられないから周囲のコンセンサスを得ないと組織は動き出さない。アイディアがあっても反対される。納得してもらう為には材料と根拠、結果予測、そして説明能力が必要。

でもうまく説明出来ない時もある。なんというか本能で感じてたり匂いを感じているとき、理屈は後付けになるけれど時代の動きを感じてやれなければ!と思っている時だ。でもメンバーがその課題に取り組むのが初めてだったり、経験のしたことのない未知の領域だと話は複雑にこんがらがってくる。強力に進められる意思と力強さがあればいいのだけれど。気を使ってしまい、しごく真っ当な正論で反論されるともう頂けない。

やらなくなってしまう。
 
言ってみれば情に判断が押し切られてしまう。ここで情を押し切って決断できるかどうかが分岐点。それは判断基準が明確になっているという証でもあるよね。成功すればカリスマと持ち上げられ、失敗すればワンマンと呼ばれる。これは紙一重。判断が遅れたり先送りして滅亡していった英雄、武将、企業は成功した人たちの数よりも多いよね。

あの時もう少し説得しておけば。
あの時反対され、嫌われ者になってもやっておけば。
たとえ細々でも、仕込みとして継続しておけば…

そんな反省は自分自身の過去を振り返ってみても沢山。

悔いが残らないなんて嘘

目一杯やってみても自分が望んだ結果、果実を得られていないからこそ悔いが残る。

逆も真なり。目一杯出来なかったから結果が出なかったのだとも思う。その理由はそういう環境を創り出せなかった自分。原因の本質は自分の性格・人間性に帰結すると思うのですよね。

 

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