愛別離苦という言葉があるように生きている限り必ず別れがあります。家族との別れ、長く暮らした土地、親しくなった人との別れ。かならず誰しもが、何かしらの別れを経験しているはずです。それはとてつもない悲しみを伴うものだったり、もしかしてホッとしてしまう別れだったりするのかもしれません。
 
この他には

  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
  • 求不得苦(ぐふとくく)
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
  • があって、この4つの苦と、生・老・病・死をあわせて八苦。総して「四苦八苦」ですね。

    でも最後の最後は死によって全ての人とモノと事柄に別れを告げなければならなくなります。そしてそれは突然にやってくるはず。当事者にとっては不条理なことで、周囲の人にとっては非常に悲しいことです。
     
    ぼくは以前ちょこっと書いたように死ぬことから逆算してどう生きていくかを計画をたてるという研修に参加したことがあります。

    当時はまだ30歳くらい。死について実感がない時期でしたけれど、とても面白く感じた研修でした。時間の経過とともに、研修を受けたこと自体を忘れてしまっていたのですが、死をもの凄く身近に感じることが立て続けておきまして、死というものが非常なリアリティを持って日常に入り込んで来る経験をしたばかりでしたので、ふと研修のことを思い出しました。

    死は案外背中合わせで寄り添っている

    その研修は確か15人くらいで行われたと記憶しています。アジェンダの中で「どう死にたいか」「どんな風に死の瞬間を迎えたいのか」というシチュエーションを考えて発表するという内容のものがありました。回答が人によって全然違っておりもの凄く面白かったのを覚えています。価値観がこんなに違うものなんだなと実感したというか。個性がここに出るのだな、と思いました。

    そんな記憶を辿りながら最近起きたこと、これからについて想いを馳せていくと感じることは

    ぼくたちは必ずやってくる自らの死に対し、何も準備をしていない

    と言うことです。

  • 平生から死に向けてどのように生きていかなければならないか
  • 人生をどういうような心構えで生きていかなければならないか
  • 凹凸は必ずあるにしてもどのような指針で乗り切っていくのか
  • そういうことを考えていくことはとても大切なことだし、もしかして最優先して考えなきゃいけないのじゃないかと思ったりするのです。

    死と向き合うのは生きがいの発見になる

    準備をするということは形見分けとか遺産分配とか老後の資金準備とかいうことだけではありません。
    死に向かってどう生きていくか”を考えていくことは、生きがいの発見ということであり、「自分の価値観」や「大切にしたいこと」の発見や「こういう考えで生きていくことが、自分が納得できるということだ」など自分の棚卸しになるのではないだろうかと思うのです。
     
    その中で大切にする人たちや大切な時間もはっきりすることでしょう。どういう生活を送りたいのか、そんなことも明確になってくることでしょう。

    どんな死に方だって構わねぇじゃねぇーか。面倒くさいこと考えずにさ。辛気くせぇこと言っていなさんなよ。死んだら、それでおしまいよ。天国も地獄もありゃしない。それでいいじゃねぇか。だから生きているうちに、好きなことやるんだよ。

    これも一つの考え方ですよね。ぼくも今まではそんな風に考えていました。輪廻転生だとか、過去世・現世・未来世なんて自意識では認識できないから理解できないと思っていました。だけど実際死を直面する経験というか時間を過ごしてみると、死に対して怯え、怖さを避けることはできないからこそ、目を背けて斜に構えて考えていたのだろうと思うようになりました。

    どんな死に方をしたいか?と考え始めると「どんな風に看取られたいか」となり、その為には「どういう生き方をしなきゃいけないのか」「どう生きるのか?」という自問自答に落ち着きます。こうしたサイクルが自分の中で腑に落ちる瞬間があったのです。その中でどんな風に仕事をしたいのか、どんな風に家族と接していこうかなど色々細かいことも考えるようになってきました。まぁ、そもそも「看取ってもらえるのか」という基本的な前提がありますけどね。

    冒頭で書いた研修は非常に為になりましたし、もう少し自分の中で、整理ができたら改めてそのアセスメントを自分なりにやってみようと思っています。死生観の変化について備忘録的に残しておこうと思って書き始めたのですがダラダラとなってしまいました。

    ポジティブな意味でいうなら
    “生きているという営みは死にゆく為のモノ”だと思っています。
    そして日々考えていることは

  • 今がこの人と会う最後になるかもしれない
  • この「じゃぁね」の会話が最後になるかもしれない
  • あの人とはもう2度と会うことはないかもしれない
  • と毎日考えながら過ごしているということです。そうやって心を込めて人と接しているだろうか?後悔しない態度を自分はとっているだろうか?と自問自答しながら自分自身も、もしかしてこのまま彼岸にいってしまうかも・・・。もしかしてこのまま朝目が覚めないままかも・・・。と思いながら眠りにつくと、逆説的ですが1日のおわりには、今日をぶじに過ごせたことに感謝しながら終えることができるんですよね。

    とりあえず毎年遺書を認めることから始めましょうかね。

     

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