人はなかなか自分が悪いとは認めないものですよね。
ましてや他人からその言動を指摘されると自己正当性を通すためにあらゆる言葉を探して反論します。もしくは表面上は納得したふりをしても傷つけられた自尊心はどんどん亀裂を広げ、最終的には相手に対して何かしらのリアクションに結びついていきます。
 

 

人を批判することの無意味さ

マネジメントや同僚間において間違いを指摘するのならいざ知らず、相手を批判したり、厳しくとがめることは自分が期待する効果を得ることにはなりません。結局相手の内なる怒りを買っているだけでしかないのですよね。

これは以前感情をコントロールできる自分になるのエントリーで「瞋りと叱るは違う」いう趣旨でも書きましたけど、結局人を批判することの無意味さは様々なところで事例が起きているにも関わらず、おそらく今日もどこかのオフィスで、家庭で街中で、飲み屋で起きているのでしょうね。
 
職業評論家や批評家は職業だから成り立つのであって、だいたい同僚だとか上司に批判されること程腹が立つことはないですよね。

相談したい、は答えが出た後にやってくる

「相談したいのだけど」とは答えが欲しいのではなく誰かに聞いてもらいたいだけなのです。答えは本人の中にすでにあり肯定してもらいたい欲求の方が強いわけです。

相談したいといわれて出かけていき、自分自身のやり方がどうだとか「こういう方法がいい」とお節介にも話すくらいならまだマシですが、そこで批判を始めてしまってはもうおしまいです。

人の批判の前に自己反省した方が得

人は自分のことは棚に上げて、人のことをついつい批判する、そして批判ばかりしていると、必ずいつか自分にしっぺ返しがくるということをメモしておきたい、というのが今日のまとめです。批判している時は自分の方が上目線ですから、気持ちがいいものですしね。

しかし
人を批判するなら、まずわが身を振り返って自己反省し直していくほうが得だと思いませんか。

ぼくたち人類は自分で思っている以上に”感情性豊かな動物”であって”理論と理性の動物”ではないと思うのです。そして”適切な習慣を身につけることができる”のもまた事実だと思うのです。

怒りも叱りも同情も憐憫も愛憎もすべて胸三寸から生まれてくるものです。心がけひとつで好転するのであれば今から心がけを行い、習慣を変えてみてはどうでしょうか。

参考:「怒鳴っても人間は変わらない!」史上最悪の工場を変えたシンプルな教え


 

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