現在お金を頂戴してお仕事をさせていただたいている件と、ボランティア的に(将来のリターンを期待して)関わっている件があります。
 
最近1件ご依頼を頂いたのですが、現時点で「お金がないのでボランティアでお願いしたい」と言われています。この事をきっかけにちょっと自分の中で整理をしておかなきゃなと思い、年末を間近に控えて来年の事も考え始めていたことともシンクロするのでエントリーを起こしてみました。

ボランティアと仕事の切り分けを明確にする

 
立ち上げ期の時や、事業を立て直したい時は大体みんなお金をもっていないので、可能な限り毎月の支払いを抑えたいというのは理解できます。でも協力者に対して
「0円」で何とかならないか?と依頼するのは仕事の依頼ではないと思うんですよね。雇用はできない。かといって自分ではできないことを外部に依頼するわけですから。
 
でもぼくの周りには案外こうして無料で仕事を受けちゃったりする人や、赤字でも「意気に感じる」的なニュアンスで受けちゃう人が多くて、その実務がぼくに回ってきたりすることが20代のころからありました。(意図としては損して得取れ、なのですけれど)。
 
そういう時はぼくが損益管理を行って本当に割に合いようがない仕事は断ったり、優先順位をかなり低くして推進してきた経験があります。結論的には結構ドライで金勘定にうるさい人だと思われているようです。
  

Alexas_Fotos / Pixabay

それがボランティアさ

時間単位か月額単位なのかはさておき「仕事の評価はお金」だとぼくは思っています。言ってみれば金銭対価が発生しないのは仕事ではないと思います。それはボランティアだと思うんですよね。
 
ボランティアだからこそ、自分が若干の金銭的な持ちだしを行うこともあるのですが(例えば交通費負担もそうです)、その行為によって精神的に得られることも多く「自分の経験」にもなることもあります。だから「ボランティアとしての依頼」を受ける時には、それによって自分が得ることができる「金銭的対価以外のなにか」について結構真面目に考えます。その場合、その行動を「投資」とかんがえることもあります。
  

edar / Pixabay

「お金がないので、当面はボランティアでお願いしたい」というのであれば、その先の「どういう状態になれば金銭が発生するのか」については明確にしておきたいなと思うんですよね。「いまはボランティア」といいながらも、実質は「仕事」ですから、時間も精神にも削られて消耗しますし、肉体に疲労する事が多くなります。しかもその事を期待される訳ですしね。
 
考えることはタダでしょ?みたいなニュアンスを感じることって本当に多いんです。

結局人間関係が壊れていく

どうしてこうした考えを持っているのか、といえば(経験ある人もいらっしゃると思いますが)口約束を信じてボランティアで奉仕して、ちゃぶ台がひっくり返った!みたいなことを経験してきているのです。なぜそんな依頼を受けてきたのかというと(その時点での)人間関係があったり、第3者とのしがらみとか、将来の口約束での報酬が大きそうだとか、まぁ色々と要素があるわけです。
 
でもそういうケースって自分が乗り気じゃないからそもそも長続きしない。
 
更にいえばボランティアで始めているはずなのに、責任を持たせようと画策されることもあります。成功を保証するように言われることもあります。そうなるとバランスがおかしくなってきてボランティアの範囲を超えてしまい、最終的には人間関係もそこで終了します。
 

自利利他円満ということを意識したいだけ

以前もエントリーしましたが、利他とか自利とか自利利他円満のことについて考える機会が以前からあります。
 
「自利」のためだけに行動することは、とても悲しいことですし「利他」の精神で行動することは、とても素晴らしいことだと思います。でもいざ仕事となったときに「自利」をまったく考えることなく「利他」の精神だけで行動できるのか、というとなかなか難しいと思っています。ぶっちゃけ生きていくにはお金も大事でしょ。
 
それは二者択一の話になるからであって、本来は円満という言葉が意図するように、一つの行動の中における「自利」と「利他」の比率配分の濃度をどう調整するのか、ということが大切なんじゃないかと思うのです。
 

MartinHarry / Pixabay

 

そうすると「自分の利益が他人の利益にもつながり、他人の利益が自分の利益に繋がる」
という循環ができているのが一番理想的だなぁと思うんです。そのことを考えた時に「いまはボランティア」と言われた時に「金銭対価以外に得ることができる何か」ということを自分の中で明確にしておくことが大切じゃないかと考えています。

「この人からなら仕方がないな」とか、(たとえ口頭であれ)「将来の報酬について、こうしたい」と言われた場合に、信頼できる関係を事前にしっかり作っていかなきゃな。あるいは「以前良くして頂いている恩返しをしなきゃ」と考えることができることも、きっと自分の中での対価じゃないかと思います。
 
その対価が時間や持ち出し、精神的消耗も含めて「きちんと等価交換になっているかどうか」を意識することは、自分の精神と肉体が目減りさせていくことを防ぐためにも大切なことだと最近思っています。目減りすると本当にきつくなっていきますし、結果として関係したすべてのことが不幸になってしまいます。まぁ結局は迷惑な頑張り屋さんになってしまうということですね。

「いまはボランティア」とお願いされる場合には、事前にどういうエクスキューズがあって。そもそも信頼できる話か(人か)どうか。期待外れになっても「しようがないな」と思えるかどうか。その上で「金銭対価以外に得ることができる何か」を自分の中で明確にすることが最終的には

「自分の利益が他人の利益にもつながり、他人の利益が自分の利益に繋がる」

という循環を作れるかどうかに関わってくると考えています。

そのためには「自利」と「利他」の「配分比率をどうコントロールしていくか」ということについて来年はもっと意識しなきゃいけないなと今回の件をきっかけに考えています。

 

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