今年もそろそろ終わりなので、ふと浮かんだことがあります。日々起きることの中から、何も得るものがないと言い切れる時がありますか?
 
ぼく自身は何も得るものがなかったということは案外少ないと思うようになりなした。というのも、何かを得たかどうかは、心持ちによって変化すると思っているからです。それが金銭・肉体・精神の疲労度合いと比較したときに自分がプラスと感じるかマイナスと感じるのかのトレードオフによって、得た得ていない、という感情が変化するんやないかなぁと。

でも心の底から徒労感に蝕まれるようなトラブルだとか失敗も結構あります。面倒になって投げ出したくなる時も日々ある訳です。そんな時は自分で無理やり獲れるものを探したりして自己憐憫に逃避します。しかしそれにも限界がありますから、結局のところは真正面から受け止めるしかないんですがね。
 
戻ってくるための時間が悩んでいる期間ですよね。

ちなみにぼくは現実と事実と真実というものがあると思っています。

  • 起きたこと、ありのままが現実。
  • 現実を人それぞれの立場で捉えたものが事実。
  • 感情というフィルタを通して事実を捉えたものが真実。
  • 大雑把にいってこんな感じです。

    事実はぞれぞれの立場から捉えられますし、そこに感情というフィルタが介在するとその人なりの真実が出来上がっていきますので、時にとても面倒な状況になることもあります。マネジメントノウハウ系の研修を受けると、事実と感情を分解する訓練を受けるケースがあります。

    「事実はなに?」
    「感想はいいから、起きたこと(結論)を言って」

    こういう指摘は20代前半でさんざん言われました。レポートする際に、感情フィルタが介在し主観が混じった内容だと回りは適切な状況判断がしにくくなりますしね。結局こうした状況に巻込まれた時は多大なディストレスを感じながらも正面切って受け止めていくしかないのでしょうね。
     
    そして人の評価は相対的なものですから、ディストレス状態の立ち居振る舞いをみて他者はその人の評価を決めていくんだろうなぁと思います。

    人生楽ありゃ苦もあるさ、ということで

  • 苦の時にどう立ち居振る舞うのか
  • 楽の時こそ兜の緒をしめて自制できるのか
  • といったところが常に問われているんだろうなぁ。

     

    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう

    最新情報をお届けします