苦しいときに、人はその時どう過ごすかによって
器であったり人徳を知ることができる、と言われます。

試練を与えて人となりをためす

「呂氏春秋」という紀元前200年頃の
書物の「論人」の項目に、
人を評価することが書かれているそうです。

・之を苦しましめて以て基の志を験す
苦しみの中にあっても、挫けたり
自暴自棄になることなく耐え抜いて、
初めの目的に到達したり、
願いを堅持していけるか
どうかについて述べているそうです。
 
「験」とは試すということ。
苦しい環境に置かれたときに、
どのように振る舞うかによって
第三者に自らの人間性が分かるって意味ですね。
 

企業の研修ではありますが

 
現在の時代では
他人から意図的に苦しい状態に置かれて、
人間性を試されるような
機会は想像がつきにいくですね。
(戦国時代ものとか読むと
試されたりする場面がでてきます)

ところで毎日を振り返ってみると、
ぼくたちは様々な変化に
一喜一憂しながら過ごしています。

どこかの事例を聞いて、
彼我を比較しては落ち込んだり。
どこかの噂をきいて、ホッとしてみたり。
誰かがうまくいっているといっては
落ち込んでみたり。
SNSでのトモダチの投稿内容をうらやんでみたり。
 
ここでちょっと考えておきたいのは、
一喜一憂している対象は何なのかということ。
 

欲に左右される毎日

美しいものをみたい
おいしいものを食べたい
心地よいものにふれたい
多くの資産を得たい
(誰かに)勝ちたい
(何かを)手に入れたい…。
 
実にさまざまな欲望に
ぼくらは毎日毎日感情を動かされます。
得ることができれば楽しみや喜びを感じ
思い通りにならなければ落ち込みます。
不満を持ち、苦しみ、悩みを生じます。
 
一喜一憂している対象のほとんどは
身の回りのこと、生活上の衣食住に関連すること
財欲、色欲、飲食欲、名誉欲
といったことですよね。

その欲に対する満足・不満足の
どちらをより多く感じているかによって、
喜びや憂いを感じているわけです。
 

理性よりも感情の動物

生きている以上、苦楽がつきまとうのは当然。
どちらか一方だけなんてことは現実的にはありません。
字にするとなんと単純なんだと思うし
じつに本能的だなぁとも思うわけです。
それが人間じゃんね、とも思います。
理性よりも感情の動物なんですから。
 
だとすれば
「苦楽とどのように向き合っていくのかが大事」
なんだろう、と改めて考えています。
 

じゃあ辞めます

ぼくの癖なんですが、ちょっと嫌なことがあったりすると、
すぐに投げ出そうとしたり
「めんどうくさい」といって
放棄しようと試みます。
 
仕事のうえでトラブルという程でもない問題がおきて、
いろいろ迫られたりするときがあると思います。
そういうケースになったときに、
あまりにも面倒で、
理不尽だなぁと感じると
 
「じゃあ辞めます」
 
って言ったこともあります。
いまでもそういうところはすごいある。
弁解したり、誤解を解くのが
本当にめんどくさいんですよね。
執着さえしなければ、投げ出すことは簡単だろう、
って今でもどっかで思っていたりします。
 
road
 

いないほうがスムーズだなと感じたら

 
「責任感が–とかも言われますが、
多分言ってくる人が思っているよりも
責任感は持っています。

責任感を持っているから
「じゃあ、ぼくがいなくなればスムーズにすすむでしょ」
って考えはじめると
「じゃあ辞めます」
って言っちゃうんですよね。 
ちょっと矛盾しているようだけど、
自分の中では矛盾していないんです。

「いいなぁ」って感情はあるけれど
名誉欲は比較的薄いほうなんで、
その立場にあまり執着したくないな
ってのもあります。
 
そんなぼくでさえ、現実的には放棄できるわけもなく
逡巡した結果、正面から向き合わざるをえないことが殆どです。
(本当に放棄してきたのは、いままで1回だけ)

結局は繰り返すことになる

もしその時うまく逃げ出せても、
結局違う場所で似たようなことが
起きてしまうと想像するんです。

じゃあその時にもまた逃げるのか?と考えると、
また同じことを繰り返すはず。

こう考えると輪廻みたいなもんで、
逃げることなんて無理な話でしかなくて、
ずっとついて回ると思います。
 
結局苦しいことは必ず起きるんです。
その時に逃げたりせず、乗り越えること。
乗り越えたときに、辛いことに負けない強さや、
痛みのわかる人間になることができて、
一歩前進できるんだろうなと思います。
 

堂々巡りから抜け出すには

でもそれが難しいんですよね。
結局「また同じことを繰り返している」とか
「あいつはいつもあぁだからなァ」
と言われるわけです。

本人も
「逃げることはできない。結局向き合うしかない」
なんて思っていても、その時には
そんなこと考えてはいられないですもの。
だからこうして忘れないようにエントリーしているんです。
 
なんか既視感あるなーと思って調べたら
2年前にも似たようなこと書いてました。
 ・執着心を捨てシンプルに生きること
 

まずは己を知ること

 
評価は他人がするもの。
市場価値というのは相対評価。
その対象の動向に一喜一憂しているわけですが
本当に対峙したほうがいいのは
結局自分なんですよねぇ。

自分を知ることが一番難しくて、
知ったところでセルフコントロールすることが
とても難しいわけです。
だったら、そんなことしなきゃいいじゃん、
ともう一人の自分が囁くんですが。 

で、なんだっけ。
そうそう、苦しいときに人の器が分かるって話。

どうなのかなぁわかるのかなぁって
とってもモヤモヤしています。
でも苦しいことはないほうがいいですよ、
精神的によくないし、
体の命ずるままに動くことになっちゃうと
いろんな歪みがでます。
 
苦しさをなくすためには、結局(上で書いたように)
正面から向き合って
苦しいと感じている時間を極力減らすという
発想になるのかなぁと思ったりもしています。

でもねぇ、それすらできない時ってのもあるんです。
そのときは、時間が経過して
状況の変化をひたすら待つしかないのですかね。
でもそれも考えてみれば、静なる対峙ですよね。
 
オチが書けなくなってきたので、この辺で。

 

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