ちょっと前になるんですが、楠木建さんの「経営センスの論理」を読みました。
ぼくは経営は「論理で布石を打っていく」部分と「熱情の総量」で動いていく部分の加減乗除が大切だと思っていて。この本は「熱情の総量つまり、右脳的な作用について書いてあるのかなと考えて手に取りました。
全体を通読して思ったのは「論理」っていうよりも楠木さんが考えていることを吐露した「エッセイ」なんですが、その分さらさらと読み進めることができます。
1回読んだ時点で結構ピトがついて、再度読みなおしたりしました。前著で幾つか批判を貰ったらしいんだけれど、そのうちの一つに「当たり前の話ばかりじゃないか」という批判があったそうです。その批判に対しての回答が面白い。
より意味のある問いかけは「そんなに当たり前なことが、なぜ現実の経営のなかではきちんとできないのか」ということだ。「言われてみれば当たり前のこと」と「言うまでもないこと」は違う。言うまでないことであれば言わない方がよい。言われてみれば当たり前のことでも、その本質部分の理解が十分でなければ、言われるまではついつい見過ごしてしまう。大切なことだとわかっていながら、それを直視せず、目先の仕事に押し流されてしまう。当たり前のことが当たり前にできなくなる。
とても同感することが多いですよね。わかっているけどできない、とか人は同じ過ちを繰り返す、なんてことはずっと昔から言われてきたこと。個人に置き換えれば、習慣化された思考パターンや行動様式が身に染み付いていしまっているなんてのはよくある話です。
これが圧倒的に多いのだが「結局、どうすりゃいいんだよ?」。話はわかった。
でも、どうやったら優れた戦略を作れるのか。
「どうすればいいの?」という即実行できる回答を求める傾向ってやはりありますよね。
セミナーとかに参加すると「ヒントが欲しいなぁ」という風に感じることも多いです。
無料セミナーだと登壇者のサービス紹介で終わるし、有料セミナーだと持ち帰ることがなかなか少ない機会もあります。ぼくも人から相談されたことが過去にはあるんですが、具体論になるのは極力避けまくりました。だってそんなの前提条件で全然変わっちゃうし、だいたい責任持てないですもの。
心理的距離が遠い人なら、尚更一般的な話しかできないんですが、答えを他人に出してもらおう、という時点ですでになにか間違えを選択している気がする。
「こう考えているんだけれど、どう思う?」なら回答のしようもありますよね。
企業の中に多様性を取り込めば、それで何かよいことが次々に起きるかのような安直な議論が少なくない。多様性を認めて受け入れることそれ自他はたいして難しいことではない。もともと世界は多様なものだ。
最近、ダイバーシティに取り組んでいる企業のことを調べる機会がありました。そこで感じたのは
「日本企業の多くはまだダイバーシティの入り口でしかないし、「女性活躍推進」といった付近にいる」
といった印象。女性はみんながみんな男性と同じように、職位を上げててマネジメントをやりたいわけじゃないと思うんですけどね。問題なのは「いままでの男ムラに、そのまま女性に入ってきてもらおう」という発想に柔軟性がないことなんじゃないのかなぁ、よくわかんないけど。
でも(組織に適応できないぼくがいうのも何なんですけれど)
っていう現実はちょっとなんとかしたいですよね。男女ともに働き方の選択肢がとても少ないですし、「~でなければいけない」という過去から継続している画一的な価値観に縛られていることも、本当に多いんだなぁと感じざるをえないことが多かったです。
企業経営は常に特殊解を求めるという仕事なので、企業ごとにケースバイケースで最適なやり方が決まるとしか言いようがないのだが
これも冒頭と同じく「当たり前」の話。でもどこかにヒントがないかな~と思って事例集を漁ったり、人に相談に行くんですよね。相談される方も難しくて、不都合なところはぼかされるし、話には感情が含まれるもの。それに数十分話したところで、問題解決ができるなんてなかなか少ない。だいたい問題は毎日起きますからね。
本当に相談出来る人や、日頃から時事ニュースについて雑談できるような人を見つけておくことが案外大切かもしれません。雑談できるって結構大事ですよ。
あとは、何が起きたかよりなぜそうしたかに注意するほうが、たぶん得ることは多いはず。
さまざまな異なる視点をもった人々としつこく対話を積み重ねることによって、自分のものの見方が相対化される。この相対化のプロセスなしには、自分のものの見方や構えが何なのか、自分でもよくわからない。
自分自身の視点や考え、モラルが何なのかを知ることは案外難しいです。相対化する場面ってなかなか日常にはないものです。視点がわかってくると価値観も整理し始めることができるのですが、整理ができたからと言って「価値観と行動が一致しているか」というとそうでもありません。
多くの企業が「顧客志向」や「お客様の利益を第一に」「感謝」といった言葉を掲げますが、まったく一致していない言動が多くあることは、ぼくたち自身も建前と本音を使い分けているように、現実としてあるわけです。
ぼくは、人事関連部門に営業に行くことも多かったのですが、人事部の言動がいかに他者に影響を与えるのかを考えさせられるケースもありました。某社グループは出てくる人の8割は慇懃無礼だったしね。まぁでもそれがその会社のカルチャーなんだろうと言い聞かせてましたけど。(※広告やマーケ部門は「知識の総量の多寡」で人を判断するなぁと感じました)
この他、競争戦略論で「ポジショニング」「能力」という大まかな2つの違いは自分の思考パターンを見直すのちょうど良かった。
ポジショニング戦略は「トレードオフ」の論理を重視する。利用可能な資源は限られている。全部を同時に達成できるわけではない。だから何をやって、何をやらないかをはっきりと見極めることが大切になる。「これで勝つ」という所をあらかじめ決めておいて、そこに限られた資源を集中的に投入する。だから「どこで勝負するか」という位置取り(ポジショニング)が戦略の焦点になる。
ポジショニングの戦略論が「アウトサイドイン」の思考を取るのに対して、能力の戦略論は「インサイドアウト」の発想で違いをつくろうとする。他者よりも能力に優れていれば勝てはずだ(当たり前に聞こえるが、そういう考え方をとらないのがポジショニングの戦略論の特徴)。ポジショニングは二の次で、まず能力の開発を重視する。時間はかかるにしても、よそが簡単に真似できない能力を構築できれば、競争に勝てる。
本書でも触れられているように、これは表裏の関係にあるので、どっちかいい悪いの話にはならないってのも、超同意できる。
話していると、つい対立軸になっていく。スタートアップやベンチャー創業期は比較的ポジショニングを考慮しなきゃいけない点がとても多くて、ベンチャーキャピタルの人と話していると必ず聞かれるし、図式化したスライドを事業計画書に盛り込むことをリクエストされたりする。あぁこれは銀行からも同じだった。
最近のぼくは、「インサイドアウト」の発想に傾いています。「能力を開発」っていう言葉よりも「価値観的なことを明らかにすること」や、「何を提供できるのかという提供価値をより深く追求していこう」という指向性にある、という言い方のほうが、(少しは)しっくりくるけれど。
もともとプロダクト販売を行う事業よりも、サービス業、属人的な事業の経験が長い分、「インサイドアウト」よりになったんだろうなと考えています。
独自性というのか、オリジナリティーというのかはよくわからないけれど、少なくともお手伝いしている企業は
この付近の思考を補足してくれたのはここ。
戦略は「こうなるだろう」という未来予測ではない。「こうしよう」という未来への意志が戦略だ。だとしたら、「人間はイメージできないことは絶対に実行できない」という真実が重みを持ってくる。人間は誰しも考えられないことは決して実行に移せない。言われてみれば当たり前の話なのだが、現実の経営では、この「当たり前のこと」が割りとないがしろにされているように思う。
(中略)
逆にいえば「こうしよう」というイメージがしっかりと共有されていれば、根拠をもって仕事ができる。毎日の仕事がタフであっても明るく疲れることができる。その点、「数字」にはあまり期待できない。目標や予算や達成を数字で見える化する。これはもちろん大切なことだが、数字を掲げるだけでは「こうしよう」という意志が組織で共有されない。
「要はバランス」っていう思考停止ワードを用いたくなるくらいに、どっちも重要な話です。前後がどっちなのかと言われれば、「「こうしよう」という未来への意志」が先です。そこに到達するために、数字を設定します。
ぼくの場合に置き換えてみると、ここが異なっていると、だんだん話が噛み合わなくなってきます。抽象化された話と、具体的な話をどうやって頭のなかで行き来するのかってことだと思うんですけど、極論
「数字が達成できているからいいでしょ」
という派閥の人と相容れることはないんです。それってモラルだとかポリシーだとか、いわゆる生き方の問題なんで。
経営がロマンだとかアートだとかは思っていないんですが、経営は矛盾の連続だと思うんですよね。その矛盾をどう転換させていくかというのはアイディア。
「数字が達成できているからいいでしょ派」
は合理的・効率的でないものを否定しがちです。否定すること自体は別にいいんですけれど、倫理観が合わないことも多いし、人と人の間にある「間合い」を無視した発言が多くなるので、ちょっと苦手なんですよね。あら、このへんで対立軸になっているな。まぁいいや。
組織に話を戻します。
数字派からは論理的で、鋭角的な印象を受けます。抽象化だけの人からは、熱情エネルギーが発散されています。抽象と数字を行き来できる人からは、クレバーな印象を受けます。
この特徴を理解して、更に自分はどういう視点なのかを認識した上で、どういった経営チーム、マネジメントチームを編成していくのかが経営課題です。つまるところ採用の問題になっていきます。(入社してもらえるかどうかは経営課題になりますね)
ぼくはいわゆる大企業の「代表取締役社長職」の方々はよくしらないんですけれど、ベンチャーや社歴の長い中小企業のオーナー社長をみていると経営、企業風土には代表者の生き様が本当に反映されていると考えています。結局色んな本を読んだり、情報をインプットして「知識の総量」を増やしただけではだめで、その裏側にある論理だとか、面白さに気づいていうことが重要。
その重要さに気づいたら、裏側を常に洞察する習慣を身につけていくことが大切だし、そういう場を求めて行動していくことが、表題の「経営センス」を磨くことに繋がるんじゃないかなぁ。
でもこれって結局池上彰氏が最近テーマとしている「教養」の問題になっていくんですよね。生き様が経営や企業風土にあらわれているとしたら、ぼくは
まぁときどき自分でも「もう1回やろうかなぁ」と妄想することもあるんですけれど、代表者には資質として絶対向いていないと理解しているので。
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