「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」

物事を進めていくとき。例えば経営について思考したり、人材育成について思考したり。或いは新規サービスを立ち上げているとき果たして自分が進めている内容、構想しているディテールを生み出している自分のマインドは正しいのか?と立ち止まり、考え込んでしまったり自己不信になった経験があるのは恐らくぼくだけではないと思う。

判断という作業は自らの経験の蓄積に基づいて行われるものだろうし、最近の心理学というか脳科学的な見地でいれば 判断を行う「自己」とは潜在意識の表層に現れるほんのわずかな存在でしかなく、そもそも「判断している」と自己認識する前に意識下で決定は行われている らしい(なんだか難しい)

自分が正しいかどうかなんて、誰にもわからないという議論はさておきこの不安を取り除くには

  • 様々なインプットを行い自分との共通項をたくさん見つける
  • インプットを多くし圧倒的な知見を手に入れ自信をつける
  • 行動を繰り返し経験を積み経験を自信に変える
  •  
    という何かしらの努力が必要だと思うのですね。

    志が持つ力

    「自己成長」をしたいと思う動機には「志」があると思うのです。「志」が出発点になり、歩みを進めていくのだと最近強く感じています。というのも、過去のセミナー資料を見返したりしていると、どうも自分はテクニカル的な話をしてきた経験よりも思考やマインド・姿勢といった「自己意識系」の比重の方が多いのです。
     
    テクニカル系のセミナーは、知識を伝達することが目標であり、それが正しい・正しくないを証明する事は客観資料が揃いやすいものです。また経年変化もデータ取得がしやすいので納得しやすい。それに対して自己意識系のセミナーを振り返ってみると会場が微妙な雰囲気に包まれることも時々あります。100%正解と言える答えは存在しない世界であって
     
    「おぉ、その言っていることは納得できるわ」
    「いやぁ、それは納得できないな」
     
    というのが感想の大半を占める世界だからです。
     

    By: Joe Shlabotnik

    理屈ではなく、感情で動く

    同じ言葉でも人によって受け取り方が違います。発信者に個性もあれば、受信者にも個性があります。そしてなによりもデータを見せろと言われると辛い。自分の中では確信している様な重要なロジックでも最終的には
     
    納得してもらえる、或いは信じてもらえるかどうか
     
    というところになってしまう。

    ですから「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が本来は重要なのに
     
    「誰が言ったか」が説得力を持つ
     
    ということになるのでしょうね。ソーシャルネットワークでますます可視化される時代ではこの動きはより加速していくと思っています。

    「志」を周囲に理解してもらうにはたくさんアウトプットをしなければなりません。たくさんアウトプットをするためにはより多くのインプットが必要なわけで、そのプロセス自体が自己成長の階段を昇っていることであって、一定の踊り場に来た時に「あいつが言うから間違いないだろう」という信用を産み出すことになるのだろうなと思ってみる次第です。
     
    でもねぇ、ここまで書いておいてなんだけど「自己成長」という言葉あまり好きじゃないんですよねぇ。

     

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