わかってもらうこと、わかろうとすること

知識によって人は救われるっていう、比較的好きな言葉があります。どこで読んだのかまったく覚えていないんだけど、このフレーズがやけに脳内にのこっているんです。

で、最近「おー!」とこのフレーズとつながったのが、河野さんが公開していた知識が身を守るーまず手段(施策)を知る、知らなければ選べないーという言葉ですね。(いぜん、smashmediaで書いていた「ただしい知識は自己防衛の第一歩ですよ」にも近いよね)

そのときは言葉がつながったなぁ、という認知程度だったんだけど。それがさらにコネクトしたことがあって。 結論からいえば、人が判断をする際には自己の行動様式(それと体験)がおおきく影響しているんだなぁ、とあらためて感じたってだけの話です。

想像力がはたらくための条件

知識があれば、自分の行動様式にあっていなくても「聞いたことあるぞ」「なるほどね」と想像を働かせることができるかもしれません。だけど知識がないと、行動様式(体験)から判断をしようという思考がうごくから、「ぼくはやったことない」「聞いたことない」「周りにやってる人がいない」という言葉になるんじゃないかなぁって。

それがわるいとか、知識がないからダメだとかじゃなくて、単にそうなる確率が高いよね、という感想をもつことが、ここのところ立て続けに起きました。

日々手帳にその日のことをふりかえってメモっているのですが一連の流れが冒頭のフレーズと、河野さんのブログとオーバーラップしたことを、メモっておこうかなと。そして自分も「食わず嫌い」的な、反応をすることがあるよなぁと思ったので、自戒をふくめて。

Unsplash / Pixabay

どうやってわかってもらうのか

じゃあ、反対された意見に同意してもらうにはどうするか。同意まではいかないけれど、理解してもらった上で「むり」と判断してもらうには、どうすればいいのか。いろんな方法があると思うけど、ぼくは仕事の場面では疑似体験してもらうか、たとえ話で身近に感じてもらうように話しをするようにしています。それが、手っ取り早いんじゃないかなと思うんですよね。(そのうえで、この記事いいですよ、とかおススメすることもある)

だけど、その場で「あ、これは伝わっていないな」と思ったら、意見は引っ込めます。わかってもらうには、すごくパワーもかかるということもあるけれど「そうじゃなくて!」とたがいに言い出すと、「べき論」がぶつかるだけで、もはや、議論じゃなくなってしまうからなのですよね。あとは、伝え方の問題ってのもあるので、じぶんのなかで再度消化するために、引っ込めることもある。

でもね、

でも 人に聞いて納得する奴って
また誰かの言葉で考え変わるんです

結局 自分の感覚や実体験じゃあないですしね・・(199P)

というのも、ひとつの現実だなぁとも思うんですよねぇ。なので、熱く意見をぶつけあうことは、もうほとんどないかも。その場で意見を引っ込めた後は、時がくるまで待つとかするかなぁ。後日「あのとき言っていたことは、これだったのか」となったりする方が、話が通じやすいってこともありますしね。議論に勝つとか、論破することが目的じゃない以上、ディベートがはじまっても仕方ないですもんね。

Sponchia / Pixabay

まあ、時間をおいても大丈夫だからできる方法ですけどね。緊急事態じゃないから、ねかせることができるんです。だからこそ、状況とか条件をふくめて、どういった愚見を述べるかは、つねに思考しつづけなきゃいけないんですがね。

いちばんいいのは「ようわからんけど、任せた」と信用してもらえることかな。といっても、話しもしないままに「任せた」と言われても、放置じゃないかって、プンスカするんでしょうね。

わかってもらうこと、わかろうとすること、ってむずかしいですよねぇ。話せばわかるっていうけれど、それがわかんないから人ってむずかしいなぁ。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!