お盆のむかえ方

なにげない日々が、なにげないままに過ぎていって、1週間になり、1ヶ月が終わる。今月もそうなればいいなと思いながら、だいたい毎日を過ごしているんだけど、今月はそうならなかったなぁ。
 
ぼくは人生の先に終わりがあるのではなくて、いま過ごしている刹那と終わりが並行しているものだと思っている。彼岸と此岸というくらいだしね。奈落の底ってことばもあるけれど、いつ落ちるかなんて誰にもわからない。人から見れば幸せそうにみえていても、当人にとってはちがうってケースなんてたくさんある。
 
その延長線でいうと、極楽だとか天界だとか、地獄だとかっては頭の上にある国じゃなくって、自分の精神状態を表しているんじゃないんだろうか。いま生きている環境に対して感じている自分の精神状態を比喩しているんじゃないかなって思ってきた。じゃあ心が変われば、自分が見ている世界が変わるのか?ってとてもむずかしい質問だけど、ぼくは肯定派だ。少なくともそう思って、そう教えられて生きてきた。
 

DasWortgewand / Pixabay

相手は自分をうつす鏡だし、人は環境によって変わる。だから自分が変われば環境が変わる。ただマジックじゃないから、一足とびに劇的になにかが変化することなんてないことも知っている。だけど身体を鍛えることと同じように、心を鍛えることで確実に世界は変わると思っている。

そこに何を託して、何を求めるか。
本物の音楽にはつくる人の切実な人生や価値感が表れているものなんだと思います。坂本龍一さんのことば
 
とあるように、心のあり方は思想であって、姿勢につながり、音を、言葉を通して他人に伝わっていくと思うんですよね。で、自分は毎日どう過ごせばいいのか、なにを意識して行動すればいいのかってのも、おぼろげに自分なりのセオリーを持っている。だけどこれを持続させて365日積み重ねることが、とても難しい。
 
なんだか教訓めいたような、それでいて暗そうな話になってしまったけど、そうじゃないんだよなぁ。なにげない日々が、なにげないままに過ぎていって、8月はそうなればいいなと思っていたのだけれど、そうならなかったというただのメモブログなんだよ。書くつもりもなかったけど、手帳よりも読み返す機会が多いから、ここに書いておこうと思ったんだ。
 
まぁなんだ、無常感にすごく包まれた日を過ごしたのは超久しぶりだけど、「いや、そうでもないぞ」と虚勢をはる自分もいる。いっぽうで「ぁあ自分はそういう喜怒哀楽を味わい、共有する人生をおくることはたぶん生涯ないんだな」ってちょっとした虚脱感もある。今日はそんな日だったってことですね。お盆ってのは、そういうことと対峙するタイミングでもあるよね。

で、去年のお盆はどう過ごしていたのかな、って過去ロゴみたら8月1本も書いてなかったよ。なんだこのオチ。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!