知るともなく知る

3月末の決算を控えている方々と先日話をしていて
「もう今年も2ヶ月が過ぎるのか」
という話になりました。

真っ只中にいる時は、早く感じるか遅く感じるかの大体いずれかで。後から振り返ってみても、どっちかの感想を持つものですね。結局どちらかを感じているんだな、と埒もないことを考えていました。
 

不惑という年代

さてぼくは今41歳なので、世間でいう所の不惑という年代に入っています。

我がことを見直してみると、案外惑わずってところまでは行けています。
それは30代で紆余曲折した
– 殆どが世間的にみれば失敗の方が多い-

経験を周囲の配慮でさせてもらうことができ、経験値を積み重ねることができたおかげです。
 
そして最後の2-3年で迷ったり、ないものねだりをすることを止めた、ということがあるんですね。
 

他人と比較する必要はない

 
とはいいつつも、
評価は相対的なもので、市場価値は相対的
に決まることも理解しておくべきです。この2つは自覚しておいた方が何かと楽。
 
彼我を比較して持っていないスキルや資質を羨んだり、弱みを克服することに執着はしない方がいいです。それは苦しみしか産まないんですよ、きっと。

  • 自分にできること、自分が得意とすること。
  • 自分がやりたいと思うこと、やりたくないと思うこと。
  • どのラインまでなら妥協できるけれどこれ以上は妥協できない。
  • こんなことを理解しておくといいような気がします。
     
    自分で自分をふりかえると、相手から求められることを俯瞰しながら、一旦は受け入れるんだけど、自分の「できること」「できないこと」「やれること」「やりたくないこと」。
     
    一瞬でこうしたことを取捨選択しているんだということを自覚して、やりたいことができるための努力とか先回りすることを怠らないうようにする。

    っていうところまではいけてると思うんですよね。どこまでなら許されるのかというラインを把握しておくことも大切だなぁとこのあたりで考えるようにもなった。
     

    考えていることを常に書き出す

    頭の中で考えていること。Aから派生する補助線が幾何学模様のように網目のように縺れていくことを、適切な言葉で表現するということはちょっとむずかしいです。
     
    ↑この本は結構参考になります。
     

    テクニカルな問題もあるのだろうし、小さな頃からの自分の資質的な事があまり変わっていないんだろうなと最近考えています。
     
    理想像があるんだけれど、そこに届かない。結構な距離感を感じている時のもどかしさにとても近いのです。
     

    50にして天命を知る

    次に控えているというか考えなきゃいけないのは50にして天命を知るってこと。でもねぇ多分それは、幾つになっても見えないと思う。といまは思っています。

    結局想像がつかないんです。ぼくの周りには案外

  • 国をどうにか変えていきたい
  • 業界の慣習を打破したい
  • と真剣に考えて、情熱を支えに行動されている方が多いんです。長期間継続して。私財を投げ打ったり、仕事以外の時間をそこに費やしたり。とても素晴らしい理念と行動力です。

    主催される会合や集まりに参加することもあります。その時は自分の中でも盛り上がる瞬間もあります。でも戻ってくると、そっちの世界への興味が続かなくて(更にいうと天邪鬼で)つい反対目線で見ちゃうんですよね。これって悪習だと自覚しているのですけど。
     
    この辺の真っ正直に生きていけるという得体のしれないものは何なのか、ということを自分の中で確立させることが今後の課題かなと思ったりします。

    Dreamin about SnowmageddonDreamin about Snowmageddon / OakleyOriginals

     

    今に賭ける、というのは怖くてできない

    両方がそれぞれの立場から見りゃ真実。立場が変われば「正しいこと」の解釈が変わるということを、ぼくたちは色んな場面で学んできているわけです。
     
    いま個人事業主として企業のヘルプをさせていただくと感じるのは、選択と集中とはいいつつも与えられたカードでしか事業を推進できないという選択肢多さと、カードそのものの少なさ。言ってみれば打つ手打つ手が悪手にさえなりそう。
     
    たとえばテストケースのために予算を3ケタ使うってのはちょっとないですね。選択できるのは智恵と手作業のみです。その分色んなことを聞きかじってくるし、事例もたくさん知ろうとするので迷いに迷うんですよね。
     
    もちろん自分たちも将来的には選択することができるカードを豊富に創りだすためにやっているのですけど、現実としてはそもそも「賭ける訳にはいかないよね」っていう話です。
     
    何かに賭ける“という言葉はとてもカッコいいんですけどね。
     

    勇敢にして愚かなる者よ、前進せよ。
    最後の最後まで存在することの危うさに賭けるのだ

     
    コクトー

     
    いろんなことをやり過ごしながら「次に懸けよう、次に賭けよう」って思いながら日々を過ごします。
     
    中小企業は毎日が綱渡りですから「次のどこに懸けるのか?」はイメージができなければお話にもなんにもならないわけでして。こうして「次」「次」「次」を探しながら毎日を過ごしていると、前述のように自分の理念に殉じることができる、或いは賭けようとする人ってのは凄いなぁと思います。
     
    そして「天命」なんていうと、どうもそうした大多数に影響を与えることができるスケール感がなきゃいけないんじゃないか、と考えてみたりしているわけで。
     
    結局ぼくは目の前のことに夢中になるというか、小さなコミュニティのなかで最適なカタチを求めること。

    (自分たちにとっての)理想を現実の中で求めて、結局到達できなくてもがいているタイプなのだろうなと思っています。
     

     

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